4月20日

西山 善峰寺
(にしやま よしみねでら)

京都市西京区大原野小塩町

 天台宗

 千手観世音菩薩

 源算上人

ここも、是非 訪れたい所でした。

 平成12年 火災 全焼  

一昨年 3女が 来たときは 工事中で、何も見れなかったと言ってました。

後 いろいろな、資料を集め 当時の 様式で 建物も、ご本尊も

造られ、平成17年に完成したとの事でした。


本堂では たぶん、60代 と思われる 女性の方の

優しい 詳しい 説明がありました。


そして、火災の前の 写真も飾ってありました。

また、ご説明をされている方は、焼ける前の「寂光院」を ご存じで、

以前の姿を想いながら、説明をされ、

新しくはなっていますが、なぜだか、「古い」ものを感じることが出来ました。

帰り 説明をして下さった方に

「貴女の目に 残っている 以前の 寂光院 を、

 ここに来られる方に説明して頂ければありがたいことですね

いつまでも、お元気で」

と、
ご挨拶をして、帰りました。


寂 光 院
さて、お詣りした後 掛け軸に 「朱印」を頂く訳ですが、

定められた 番外、 意外に 私の購入した掛け軸には、 「空欄」がひとつありました。 

と、たまたま、ここの、お坊様に 

「この 番外は どちらにお詣りし、頂けばよろしいでしょうか

我が家は 浄土真宗 なので、西本願寺では、?」と、お聞きしましたら、



『もともと、観音様と、阿弥陀様の、教えは違います。

観音様は 現世を救い

阿弥陀様は 来世を救う 仏様、

もし、行かれるならば、無宗派 の、「善光寺」か、

ここから一番近い 1001体の観音像のある、「三十三間堂」が、よろしいのでは、。」と、

お優しく 教えて頂きました。



、次に 予定にはなかった

番外 の、「三十三間堂」に行くことにしました。

三十三間堂

中学生の 修学旅行 以来 来ました。

観光客で、いっぱいでした。

写真撮影禁止 で、写真はありませんが、

1001体の 「十一面千手千眼観世音」 檜材の 寄せ木造り

の、観音様 1001体 ゆっくり、拝ませて頂きました。


 

華頂山 元慶寺
(かちょうざん がんけいじ)

京都市山科区北花山河原町)

 天台宗

 薬師如来

 遍昭僧正

番 外

補陀洛山 六波羅蜜寺
(ふだらくさん ろくはらみつじ)

京都市東山区松原通大和大路

 真言宗智山派

 十一面観世音菩薩

 空也上人


聖徳太子が推古2年(594)に用明天皇の菩提を弔うために創建されたものですが、

平家物語の悲劇のヒロイン、建礼門院が余生を送ったところとして有名な尼寺です。

壇の浦の合戦で平家は

建礼門院は幼い安徳天皇を抱いて入水しましたが、一人源氏に助けられ 

その後、都に戻った建礼門院は寂光院の傍らに庵を結び、

わが子・安徳天皇と平家一門の冥福をひたすら祈ったといわれています。  

とのこと。

つづく

さて、西国三十三所巡りに、  「番外」 が、 三ヶ所あります。

一つは、西国三十三所巡り の、創始者 「徳道上人廟」 の、「法起院」

そして、祖と仰がれる「花山法皇」の「菩提寺」

そして、花山法皇の出家 された、「元慶寺」と、あり

その、「菩提寺」「元慶寺」の、「朱印」の上には「菊家紋」が付けられています。

土砂崩れのため 途中から 歩き でした。

この、お寺も、広く、いろいろな花がきれいでした。

見せて頂きました。

「元禄年間に徳川五代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により寺は復興したとされている」


の、「綱吉」様、「桂昌院」様の、直筆の 掛け軸がありました。

この、文化財も 見てきました。

古い、ものばかり 

すべて、木造 よく残っているものだと、、。