9月23日
(水曜日 祭日)
「妻籠宿」
朝から どんよりした 空 天気予報 曇り
「木曽観光名所」 は たくさん有りますが
ここへ 参りました。
町並み保存運動のはじまり
時代が変り明治になり鉄道や道路が新たに造られ、
宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。
昭和になり経済成長の中、
江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、
ここに全国に先駆けて保存運動が起こったのです。
妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を
「売らない・貸さない・壊さない」
という3原則をつくり、
ここで生活しながら、
江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えているのです。
歴史の面影を残す宿場町
江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから
木曽街道とも呼ばれていました。
中山道69次のうち江戸から数えて42番目となる妻籠宿は、
中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として古くから賑わいをみせていました
ここで 夕方まで たっぷり 遊びました。
山登り 歩いての 数時間
へらぶな釣りは ただ、座って 竿を振るだけの 数時間
体の使い方は 全く違いますが
どちらも 一刻一刻 とても 楽しい時間 です。
案内人の方 1500円 だとか
たまたま、すれ違い (*^_^*)
聞こえてくる 興味深い 詳しい 説明を
「ふむふむ」と 聞いておりました。
代々脇本陣・問屋を勤めた家で、
現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い、
当時の粋を集めて建てたものです。
明治13年 明治天皇の御小休所となりました。
また、島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもあります。
隣家との境に卯(う)の字形の防火壁(袖壁)をつけ、
これを「卯建(うだち)」といったが、
この壁をつけた家は格式の高い家なので、
転じて立身する意となった、などの説によるものである。
卯建ち
宿駅が制定されると妻籠宿本陣には島崎氏が任命され、
明治に至まで本陣、庄屋を兼ね勤めました。
島崎藤村の母の生家で、次兄広助が養子に来ています。
郵便資料館
ポストの 移り変わり
こちらが キンモクセイ
我が家の隣のは 10月末 開きます。
こちらは すでに 満開
この場所からの 写真が 「妻籠図」 案内の表紙になっていました。
今日でいう「官報掲示板」で、江戸時代の姿を復元しました。
幕府が庶民に対し、禁制や法度等を示したものです。
お上のご威光そのままに、人々を見下ろすように高札が掲げられています
高札所
さて、ここを 進むと 「馬籠」へ 通じる 旧中山道 です。
まだ、私 20代始めのころ
ひとり、 ここから 「馬籠」まで歩き そして、 諏訪へ
美ヶ原から 蓼科 上高地から 黒四ダム そして、 富山へと
一人旅
ふと、思い出していました。
最近は 過ぎた時間を 振り返ることばかりです。
さて、
まだまだ 名所 写真 お話も 有りますが
こんなところで、、、。
さて、さて、
次は やっと 主人の想いの 「へらぶな釣り」
お聞きしたところへ
「うだつが 上がらない」とは