南島原市 「岩戸山」
12月9日

ここで ちと 仏教とは と

幼いころから 我が家には 仏壇がありました。

でも 両親が亡くなり

仏壇の世話をしなければならなくなって 初めて 自分の宗派を知り お寺へ 足を運ぶことが多くなり

少しずつ 仏と 接することが増えました。

しかし なんとも 仏教の歴史も 宗派も かなり深く 難しいことです。

でも

山登りや あちこちの 観光で 結構 いつも 石仏や祠を 目にし 

いつも 身近に感じていました。


まだまだ 神社にしても「古事記」からの 神様もややこしいばかりですが

これも また、山登りの 楽しみのひとつかもと 感じます。


   

「穴観音」

海食洞 ここに 観音様が 隠れて 祀られていたのです。

ここで ちと お話を

ここに 石碑 
島原半島観音霊場 第二十番札所 と ありました。

検索すると 現在も 観音巡りをされています。


私も 九州西国三十三観音巡り と 西国三十三観音巡りを終えてます。

はい、西国(関西)三十三観音 の歴史は古く また、案内にある 僧行基 も 
700年代 奈良時代 です。

ここ 島原も かなり 古い時代から この 観音堂をたくさんの人が お参りされていたのだと思います。

それが

キリストの伝来が 1549年
 観音堂が壊滅 観音様が 

「穴観音」に 隠れることに。

そして、
島原の乱が 1638年 

今度は キリスト教弾圧

岩戸山の
 曹洞宗「厳吼寺」が 建てられました。


人が生きるに 宗教も かなり 影響がありますね。

いつの 時代も それぞれの考え想いがあり

いつも 平和な世の中をと 考えていると思うのに 歴史を振り返るといつも 悲しいことがたくさん

今回も たくさん 感じるところがありました。


ぽんちゃん とっぺんに登ってます。

ここも 右左 崖です。

先ほどの 写真 

上から見た所

こわい所に 道がありますよね。

開けて きます おおぉーー!!!

島原観音巡りの 石碑

岩戸山 火山が噴火し 出来た半島

100m足らずですが 国の天然記念物になってます。

祠です。 南無阿弥陀仏 と 書かれてあります。

我が家も こう 唱えます。

さて、 我が家は 浄土真宗 本尊は 阿弥陀如来

そこで 

この 石碑 
「大威徳明王」 とは 私は 存じませんでした。ちと、検索


「五大明王 のなかで 西方の守護者とされる」 こわい 仏様ですね。
と言っても さっぱり 分かりませんが 信仰の仏様です。

「岩戸山」 そよかぜさんのレポートで 興味深々 

そんな時 たまたま 肉まんさんも 来られるとか 

是非にと ご一緒させて頂きました。

こわいですね。

ここにも 言い伝えのお話がありました。

次に ここへ 戻って

こちらを 右へ

ここ 観音堂跡に出てきました。

「寛永三」と書かれてあります。

江戸時代 もう 安定した時代だったの ですね。



さて、

案内して頂き どこをどう歩いたのか 分かりませんでした。

それでも 見どころ沢山 ひとつひとつ ゆっくり すれば まだまだ 時間がかかったでしょうね。


帰宅して もう一度 写真 GPSを 眺め

過ぎた時間を追っていました。


この 時間も 私には 嬉しい時間です。


本当に 嬉しい嬉しい 時間でした。

ありがとうございました。

次々に 出てきます。 調べれば調べるほど  悩みます。

昔々は まだまだ 有ったのだと思います。

またまた 移動します。

次は こちらへ 先ほどの 座禅岩 

風来坊さん が降りた 海が見えてます。

矢印の方向に 「穴観音」が あります。

「大智禅師」 鎌倉時代の曹洞宗の僧侶

日本昔話の 「大智禅師」と猿 がありました。 

次は 座禅石 へ

入口の案内  

この絵を見ても 高い岩場を歩く様子がわかりますよね。

右側 風来坊さん 海へ 急な崖です。

             

右の 上 

ここから 下って 海へ

山門 ここを 進むと曹洞宗「厳吼寺」 大きな お寺でした。  

ここにも 「大日如来」と 書かれてあります。

陸地から この場所は 見えません。

「穴観音」に 行く 狭い道です。 左は 崖 柵が取り付けてます。

先端

降りて 左側

観音堂 

戦後 火災で焼失 最近まで有ったのですね。