ここで またまた 気になる言葉
「サイフォン」
何らかの液体を、高い位置にある出発地点と低い位置にある目的地点を管でつないで流す際、
管内が液体で満たされていれば、
管の途中に出発地点より高い地点があってもポンプでくみ上げることなく流れ続ける
この橋は 逆サンフォン
溝ではなく 管になってなければいけない訳です。
吹上口 から 石橋に下がり 排水口から 高い白糸台地へ
現在ならば 動力で吸い上げることができたでしょうが
それで また 凄いなと 納得
「通潤橋」
4月20日
山菜スパゲティー
先ほどの 疑問
どうして止めるの でしたが
レストランで 食事をしながら 眺めていました。
15分〜20分 で、 自然に放水は止まりました。
(*^_^*)
予約放水は 10000円
三女と 「いつも 流してやればよいのに」 と、
ですが
もともと 放水は 石管内のゴミを出すためので いつも 流す事はないわけです。
今回 歴史 物理 数学 と
この私の 単細胞の頭脳で いろいろ 考えました。
何事も お勉強
孫 2年生 もうすぐ 算数で 長さ p を習います。
さあ、 まだまだ 難しくなりますよね。
(*^_^*)
ここは 吹上口 の上にある 史料館
当時の 現場小屋
祖となる人物が「藤原林七」です。
長崎市内「眼鏡橋」に、「どうして石が落ちないのか?」を知ろうと
外国人と接触したため 奉行所に追われ
種山村に逃げ込み 「林七流アーチ論」を完成
弟子や息子たちは、その技術を更に高め、熊本県内に次々と石橋を架設
全国各地からの架設工事要請に応えていき、「肥後の石工」の名を広めていくことになります。
歴史的にも有名な矢部の通潤橋を竣工したのが
「橋本勘五郎(丈八)」です。丈八は林七の長男嘉八の三男です。
石橋の建設に 総庄屋「布田保之助」さんの業績もですが
ここで 「肥後の石工」 のお話も またまた、深い お話になります。
さて 次は ここに寄りました。
三女 初めて
私は 今まで 何度も来てますが、いつも 山登りの帰りの立ち寄り
なので
「放水」に合ったことがありません。
丁度 12時 栓を叩いて 外しました。
「アナログ だぁーー!!」と
瞬間 凄い 勢いよく 吹き出します。
またまた、三女と
「それでは 止めるとき この水力 に 栓ができるのかねぇーー」
と
またまた、気になりました。
と、
ここで
ふたりで 「放水 どのようにするのだろうね」と 話しました。
「まさか この 栓を抜く ?」
私ら 全く 無知で 事前に 調べた事はなく
親子して イベントだけに 「放水」するのだろうと 思っていましたので
たぶん どこかの 操作室で スイッチ押すのか
どこかの 水道の栓を 開く のだろうかね
と、話してしました。
と
12時まで 橋の上で待機することにしました。
11時過ぎ 駐車場から 「通潤橋」 の方へ
と、
土、日曜日、祝日の 12時から 「放水」だとのこと
丁度良い 時間に来たようです。
分かりやすい 説明ですね。
そして、
まず、支保工を造り 石を積んでいく それは 資料館に詳しく ありました。
また、ここで 円周率 曲尺 もまた 話せば 長くなりますが
興味深く 検索 検索 でした。
パソコン 有り難いですね。
上流に二ヶ所
下流
中央の 放水 場所
ここが 取水口 水道は3本 通っています。
高さは20メートル
そうなんですよね。 「なぜ 落ちないのか」
それにしても きれいな 石積み ですね。
これは 熊本国府高等学校パソコン同好会のページから お借りして
結構 高いです、 ふたりして
「こわいねぇーー、 なんで 柵 を着けないのかねぇーー」
と、
「景観 悪くなるからかねぇ」と 話しましたが
もともと 人が渡る橋ではないからですね。
今まで 一度も 転落事故 はない とのこと