各段飾りの お道具
2段目 丸餅(まるもち)
4段目 御膳(ごぜん)、菱餅(ひしもち)
6段目 箪笥(たんす)、鋏箱(はさみばこ)長持(ながもち)、鏡台、針箱、火鉢、衣装袋、台子(だいす)
7段目 御駕籠(おかご)、重箱、御所車(ごしょぐるま)
「雪洞」
「ぼんぼり」 「せつどう」とも読む
江戸時代 ぼんぼりとは「ぼんやりしてはっきりしないさま」 として 使われていた
ひなまつり
2月5日
「右近の桜、左近の橘」
これは京都御所や平安神宮でも同じである。
「仕丁(じちょう)」
サトウハチロー作詞・河村光陽作曲
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(ふえたいこ)
今日はたのしい ひな祭り
お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔(がお)
お嫁(よめ)にいらした 姉(ねえ)様に
よく似(に)た官女(かんじょ)の 白い顔
金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒(しろざけ) めされたか
あかいお顔の 右大臣(うだいじん)
着物をきかえて 帯(おび)しめて
今日はわたしも はれ姿(すがた)
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
官女(三人官女)は宮中に仕える女官をあらわす、
親王(男雛、女雛)はそれぞれ天皇 皇后さまを あらわす
ちと、 資料を お借りして 簡単に
さて、最後に この歌
中央は 三方
雛道具の柄に多用される 唐草模様、 つるが絡み合う様子を表わしています。
メソポタミアやエジプトから中国を経由して日本に入ったという歴史を持つ、とんでもない古い模様です。
つる草は茎 をどこまでも伸ばしていくことから、
長寿、延命、子孫繁栄の象徴とされるおめでたい柄です。
雛人形
歴 史
平安時代 初めは「遊びごと」であり、雛あそびの名称の由来があった。
次に
流し雛として 「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。
江戸時代になり
女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、
「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のこと
もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、
一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強くなり、
武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の家財のひとつに数えられるようにもなった。
贅沢なものへ
その後
時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、
金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた立派なものだった。
江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を 正確に再現したものが現れ、
さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。
また、
18世紀終わり近くより囃子人形が現れ、幕末までには官女・随身・仕丁などの添え人形が考案された。
雛飾りは嫁入り道具や台所の再現、
内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や壇飾りなど急速にセットが増え、
スケールも大きくなっていった。
うれしいひなまりの歌
「すこし白酒(しろざけ) めされたか あかいお顔の 右大臣(うだいじん)」
の、「右大臣」 です。
三人官女の場合、中央には眉を剃った既婚婦人で、
口の中が黒く塗られているのはお歯黒をしているためです。
ほかの2人は未婚で眉がそのまま、お歯黒もしていないというのが基本です。
ここの 三人官女は 同じお顔 でした。
三人官女の持ち物は、長柄銚子、加銚子、盃(三宝)
出来上がった 雛人形 七段飾りと 孫の さっちゃん 9ヶ月 です。
ちと、小さめ ですが、
アパートには 良いサイズ です。
さて その 「雛人形」
調べますと