「宝満山」
11月18日
下って来たのが 13時過ぎ
なんとなんと すごーーい 駐車待ちの 長ーーーい 車の列
登山者だけでなく 神社のお参り と 紅葉見物
早々に 車を出しました。
良いことばかりの 嬉しい 一日 でした。
私の人生も、、、
(*^_^*)
今は ひとり
最近は 足に自信が無く 事故った時のことを考えて 人の多い場所へと。
家族も
「一人の時は きちんと 行く場所を 教えてといてよ」と
(>_<)
追い越して 行かれる方々 もう 下ってくる方々
本当に いっぱいいっぱい 人に会いました。
「すごい ですねぇーー」
今日の数 「百一段」 ありました。
下りも 沢山の人と すれ違いましたが
たまたま、 前を歩く 数人のグループの後ろに 着きました。
その 話し声が しっかり 聞こえてきました。
たぶん 高校生でしょうか
「宝満宮竈門宮」
ここにも 「古事記」 ゆかりの 神様のお名前が
今まで 如何に 自分が 無知だったかと
さて、
山頂 ぽかぽか 陽気で 暖かく かなり ゆっくり しました。
以前 ここから 眺めた時とは 違った 想いで 海を見ていました。
9時前 私が止めると この 「満車」の 看板 が 出されました。
正面 「四王寺山」 410b
長崎街道の時 側を通った 「大根地山」方面
たまたま、空いていた 岩の上 べったり 座って しばらく のんびり
ここも 友人のお気に入り でした。
と
横の岩に ロープ
下って行かれた ばかり
ここからでは 姿は 見えませんが
仲良しで 今は亡くなった友人と 初めて 登ったとき 教えてくれた 「亀石」
大きな 亀さん
盗み聞き したわけではありません 聞こえてきたのですが、
そのお話
「新撰組で 一番長く 生きたのは ○○ かねぇーー」
途中も いろいろ お話の中
「坂本竜馬は グラバーに 使われていたのだねぇーー」
とか、
「坂本竜馬の本 今度 読んでみよう」
とか、
興味深く 聞いておりました。
そうすると 男の子が
「こないだ テレビで
“人生 知らなくてはならないことが 多い割りには 寿命が 短すぎる”
と 言ってたよ ホントだねえ」
と、
私も 後ろで 納得 しておりました。
たまたま、その 一番後ろにおられた方が 多分 先生でしょう
後ろにいる 私に 振り返って 優しい笑顔で
「どうぞ 先に 行って下さい」と
私 「いえいえ 楽しいお話ですねぇーー
はい、 私も かなり生きてましたが 世の中 知らないことだらけ
このまま 知らないまま 終わるのでしょうね」
と、申しました。
と、 先生
「いえいえ そんなに お元気ですから まだまだ 今から ですよ」
と、
(*^_^*)
本当に 知識もですが、
行動も、 私なんぞ 日本から出たことがありません
8年前亡くなった 大正生まれの母でさえ 私の年齢の時すでに パスポート フル活用でした。
それからする なんとまあ 私の生きてきた世の中の 狭さ
経験も しかり
キャビア 食べたことがありません
なんと まあ、 薄い 人生でしょうか
なんて!!
(*^_^*)
しかし
それが 時代時代の その時の人の 人生
宇宙に行く人もあれば ips細胞の研究をする人も それぞれの人がいるから
私も ここに 居れる
いろいろ 考えながらの 下りでした。
最高点のある「大城山」 「岩屋山」 「水瓶山」 「大原山」
一帯の山地の総称として四王子山脈・四王子山地と呼称する場合もある。
白村江の戦いの翌年である天智天皇3年(664)に
大城山の山頂に古代山城である 大野城 が 設置された
良い お天気 です。