「神籠石」
(こうごういし)

10月29日

10月28日は 

お婿さんが 大好きな 毎年出かける 「航空ショー」 私も行く予定が

風邪を拗らせ 寝込んで 行けなくなりました。


写メールが 届きました。 

行きたかったぁーー!!

大論争 は、昭和38年おつぼ山神籠石の発掘調査で、

列石の背後にある版築によって築かれた土塁と、列石の前面に3m間隔で並ぶ堀立柱の痕跡が発見され、

山城であることが確定的となった




「鹿毛馬神籠石」

「御所ヶ谷神籠石」

10月26日

上って

「景行神社」

景行天皇(けいこうてんのう)をお祀りしてます。


『古事記』『日本書紀』に記される第12代天皇

(在位:景行天皇元年)(71年8月24日) - 同60年11月7日(130年12月24日)



すみません 失礼ながら 全く お聞きしたことのない お名前

下って

「西 門」

ずーーっと、歩きやすい 道 でした。

ここは 「おつぼ山神籠石」 の 看板

ずーーっと 以前から 時々通る道   「鹿毛馬神籠石」 「御所ヶ谷神籠石」   の看板を見て

こんな所に 「神様が住まわれているのかな」と 思ったものです。


そして、

9月 長崎街道歩きで 「おつぼ山神籠石」 に立ち寄ったとき 「ああ ここにも あるのだ 」と


そして、 その 

「大論争」に ちと 気になり 「検索」しました。

おつぼ山神籠石は武雄市橘町小野原に位置しています。

歌垣の山で知られる杵島山の西麓に派生した半独立丘の勒山の中腹を列石の延長1870メートルの列石が廻っています。

昭和三十八年に発掘調査が行われ、神籠石が朝鮮式古代山城であることが初めて確認されました。


列石の石は杵島山でとれる安山岩質のもので、大きさは凡そ70センチメートルの方形に切りそろえられています。

石材の切り出し場として推定されている杵島山の立岩付近には今でも岩盤が露出した所がみられます。


城の施設として確認されているのは、

間口1間、奥行き2間の堀立柱構造の門跡2ケ所、水門2ケ所、夾築型の土塁2ケ所があります。

土塁の幅は約9メートルを測ります。


大宰府の大野城や基山の基肄城などのように「日本書記」などの文献に記載されたものは朝鮮式山城といい、

記載のないものを神籠石系山城とよんでいます。

神籠石の列石は土塁の根固めの役割をしています。


現在発見されている神籠石は16ヶ所で、西日本に限られています。

九州内には十ヶ所が確認されており、


佐賀県内では、おつぼ山神籠石と佐賀市・神埼町にまたがって存在する帯隈山神籠石の2個所が知られています。

築城の時期については、おつぼ山では関連する出土遺物がなく不明ですが、


福岡県頴田町の鹿毛馬神籠石や行橋市の御所ヶ谷神籠石

岡山県 鬼ヶ城神籠石 で七世紀初頭から末にかけての須恵器が出土しており、

神籠石が七世紀代に逐次築かれたことが判明しつつあります。


「中 門」

建物跡

白村江の戦い(663)に破れ  太宰府に水城や山城など 防衛砦を 築いた事になります。



「神籠石」 の文字から解釈すると 神の駕籠 と なりますが

やっと、少し 納得の気分です。