4月のカレンダーは薄いピンク色がよく似合う。
桜色の季節の到来は、温暖な気候とともに人の身体と心を緩ませていく。
テレビの気象情報で桜の開花も予想してしまうのだから、
日本人の桜を楽しむ習慣が強くついていることがよくわかる。
「花」の代名詞とまでいわれる「桜」は古来よりこの国の人たちに愛され続け、
「いっそ、この世に桜が全くなかったならば、春の人の心はのどかであろうに」と、
歌人が桜に情をすっかり盗られてしまうほどである。
寒の戻りが春の前兆を知らせ、再び陽気を取り戻すと、
寒さで閉じこめられた人の動きも次第に活発になっていく。
厚手のコートもタンスの奥にしまわれて、風の向きも変わり始めると、
のんびりとした季節の到来で、人の心もどこか浮き浮きとしてくる。
春の情景とはそういうものだ。
そして
天気予報などで競って桜の実況が始まると、
それに伴い人々もまた 蕾(つぼみ)がふくらんだと言いだし、
咲き始めた 三分咲きだ 五分咲きだと、徐々に花開く様子に心を寄せていき、
つ
いには満開の桜に魅了されてしまう。
そうして次に、意地悪な南風や雨に気をもみ、
惜しみなく散ってゆく桜の情緒にあれこれと味わいを求めて楽しむのである。
桜の在り方を、『染井吉野』に強くもっていた私が、
『山桜』を目にしたのは、三月も終わりを迎えた頃だった。
本来は山の桜は平地に比べて遅く咲くものだというが、
今年は気温の関係で山の方が早く開花してしまったらしく、
平地の『染井吉野』が見ごろを迎えたその時に、山の桜はもう散り始めていた。
一足先に桜の落花に出会ってしまったのだが、
山の桜の散りざまは平地のそれとは少し異なり、春の爛漫とした雰囲気というより、
もう少し気品がある、清楚な感じをうけた。
『山桜』の歴史は『染井吉野』よりも遙かに古く、太古の昔から野山に自生していた。
よって、古典の歌人が賞した桜は『山桜』であったそうだ。
四月の頃、新葉と共に開花を始め、葉の間に白あるいは淡紅色の花をつける。
花が葉の展開と同時に開いてしまうことは、
『染井吉野』のような“霞のように咲く”という美しさはないが、
『山桜』の芽出しの葉というものは丸くて赤みを帯びており、
そのきりりとした強い赤が淡い花に添うと、木は深みのある濃い紅色に染まり、
全体的に引き締まった上品な佇まいになる。
寿命は長く、幹の高さや太さは山の木々と並ぶ。そして春が終わる頃、
花は赤紫の実を結ぶため、散りは穏やかである。一気に散ってしまうことはなく、
一つ一つの花を惜しみつつ、のどかに散る。
そういう情景が『山桜』の落花には見られる。
このように
『染井吉野』のような“きらびやかさ“というものに対し、
清楚で凛とした風情が『山桜』にはある。
そう言えば、兼好法師の「徒然草」にも桜のことについて書いてある文がある。
“花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。”で始まる、
第一三七段の「花はさかりに」である。作者はこの段で、
「月や花を賞するのは、そのさかりの時期だけがよいのではない。」とし、
「さかりになろうとする始め、さかりを過ぎた終わりが最もよいものだ」と説明している。
これは、今でも私達が桜の開花や散り際を愛でることと同じ習慣である。
桜の花は、終わりがあるからこそ惜しまれ、
期限が付くことによってその価値が上がるものだ。
そして、
新たな「始まり」を導くのだ。
「これは、月や花に限ったことではなく、すべてのことについて当てはまることだ。
物事は、さかりになろうとする始め、さかりを過ぎた終わりが特におもしろい」と述べ、
恋愛をも例に引き、続いていく。
確かに恋愛というものも、
出会いや別れは特に印象深かったり衝撃的であったりする。
その始まりや終わりは恋の数だけ存在し、その情緒も様々で、
良くも悪くも刺激的なものである。
人の終わりもそれぞれで、桜の終わりもそれぞれ。
『
染井吉野』は潔く、『山桜』は清く散る。
そえぞれが様々な終わり方で春を過ぎ、
新たな季節を迎える。