今日のお題は「父の生まれたところ」です。
1月16日
先日、主人のご先祖のお墓参りをしましたが、急に「おまえの方も、行こう」と言い出しました。
言い出したら、聞かない人なので、出かけました。
はいはい、今回も、忘れていません。
次ぎに、宇佐市、池に向かいました。
私の父方は、すでに、田舎を離れ、お墓も他に建てていますので、
ここには、近い身内は全く、いないのですが、
それでも、明治生まれの父が生まれ、育った場所、よく、父から、話は聞き
一度言ってみたいとは思っていました。
残念ながら、地図で、探しても、その「村」はありませんでした。
「大分」方面走りながら、それらしい、2つの町役場に電話して、お聞きしますと、
一つは、わからず、もう一つの役場の方から、日曜日にもかかわらず、
「その町は吸収され、いま、○○村ですよ」と、詳しく、教えてくださいました。
で、その、村、番地のところまで、走りました。
人家の少ない、山の中、でした。
たぶん、父が、ウロウロしていただろう、田や、山を見上げ、
不思議な気持ちになり、ここから、父の人生が始まったのだと思いました。
感無量でした。
と、このおじぞうさんに、あいました。
ここに、「○○○○謹書」とあり、私の旧姓と同じ名前でした。
とても、嬉しくなって、ウロウロしますと、同姓のお家が見つかり、
そこで、父の、祖父の名を出し、お話しさせて頂きましたが、
もう、昔のことなので、ご存じないようでした。
でも、旧姓が一緒だと申しますと、この番地で、この名前はここだけだと、言われ、
この、おばさまも、にこやかに、お話ししてくださいました。
また、我が家と同じ宗派のお寺に向かいました。
「、、碑の寄贈」のなかに、同姓の名前が、ちらほら、ありました。
たぶん、父は、ここにも来ただろう、と、主人と話しました。
この田舎に生まれ育ち、関西に、そして、福岡、出兵、
主人と、人の一生なんて、あっという間だねぇ、と、、
この出合いをありがたく受け止めて、
もう、あと、少ない人生を有意義に、過ごしたいと、しみじみ、語りました。
今日も、何も釣れませんでした。
こうして、のんびりと、娘達のことも忘れ、ボーッとする時間が持てる、
これが、幸せなのでしょう。
と、思いきや、帰って、早速、スノボーに行っている長女に電話、
「怪我は、なかったね、ちゃんと、お仕事しなさいよ! きちんと、野菜を食べなさいよ!1」
と、つい、声が高くなりました。